小樽市鰊御殿は1958年に積丹の泊村にあった鰊漁場建築物を解体し、小樽市祝津に移設したもの。1960年、北海道有形文化財・鰊漁場建築物に指定されました。
明治、大正時代は鰊漁の全盛期。当時、鰊漁で成功した網元たちは豪華な鰊漁舎を建設したのだそうです。
ゴールデンカムイの聖地としても有名な小樽市鰊御殿
坂道の上を見上げると、赤い屋根の鰊御殿が見えます。子供の頃から見慣れている光景でしたが、北海道の歴史に興味を持ち始めた今、とても魅力的に感じます。
鰊御殿の創建者は、田中福松という人物。積丹で漁場を構え、鰊刺し網漁から規模を広げ、建網漁業(定置漁業)へと移行。当時の漁獲高は1万石(200万貫、7500トン)とも言われており、地元では”鰊大尽(にしんだいじん)”と呼ばれていたそうです。
第七師団から逃げ隠れるため、辺見和雄が杉元の手をひいて親方の家へと誘導するシーン
辺見:「あそこに匿ってもらいましょう」
「親方が住む豪邸で隠れるところがいっぱいあります」
※第5巻で描かれている鰊御殿の内観、外観の一部は小樽貴賓館(旧青山別邸)のものも使用されています。ぜひ一緒に巡ってみてください。
小樽貴賓館(旧青山別邸)に関する記事はこちら
小樽貴賓館(旧青山別邸)は花の名所&ゴールデンカムイの聖地!開花情報や見どころまとめ坂道の途中「おたる水族館」が見えます
鰊御殿にたどり着くまでの間の景色もたまらなく魅力的。坂を登っている途中、左手におたる水族館が見えます。
坂道を登り切ると絶景が広がる
鰊御殿に到着すると、そこには祝津の景色が一望できる絶景スポットがありました。絶景スポットについては後程ご紹介します。
ヤン衆と親方一家の生活スペースが別れています
鰊御殿は、手前の玄関をから入って左手がヤン衆たちの生活スペース。右手が親方一家が暮らす生活スペースになっています。
ちなみに、鰊御殿の奥には親方一家専用の玄関もあります。
ヤン衆たちが過ごした囲炉裏スペース
玄関から入って左手には、9帖の前居間がありました。囲炉裏があるので、ここではヤン衆たちが暖をとったり、食事をしていたのでしょうか。
今の奥には土間があり、その2階部分がヤン衆たちの雑魚寝スペース。土間の隣には台所もありました。
鰊漁や鰊加工に使われた道具も展示してあります
木の箱のようなものは「もっこ」と呼ばれていた道具。海で獲れた鰊を加工場まで運ぶために使用された木製の背負い箱です。
当時、沖から加工場まで鰊を運ぶ仕事のことを「もっこ背負い」と呼んでいました。約20Kg〜30Kg程の鰊を背負って歩く過酷な作業ですが、その仕事を担うほとんどは女性や子供だったとのこと。
特殊な技術で描かれた作品
こちらは、なんと鰊の皮で作られているんです!丸々と太っていて大きな鰊。質感がリアルで今にも泳ぎだしそうですね。
玄関から入って右手は親方一家のスペース
入ってすぐに茶の間があり、奥には家族用の居間があります。居間には縁側があり、夏場でしたがとても涼しく感じました。
天井も高く、広々とした空間。夏は快適ですが、冬はものすごく寒いんだそうです。
存在感のある大きな神殿
茶の間にある大きな神殿。当時は、鰊漁祈願のために神仏を祀る風習が熱心に行われていました。鰊漁場の親方たちは、競うい合うように大きな神殿を設置したとの記録があります。
帳場の様子
帳場の広さは9帖。ヤン衆の囲炉裏があったスペースと同じ広さです。
机の上にはそろばん。横には小さな囲炉裏。見ていると当時の様子が浮かんできますね。
まるで真珠!貴重なネックレス
こちらはなんと、鰊の鱗をを使用して作られた模造真珠のネックレス。
鱗から抽出されるグアニンという物質の微結晶体をゼラチン溶液に溶かして魚鱗箔(ぎょりんぱく)と呼ばれるパールエッセンスを作り、イミテーションパールを製造していたんだそうです。
縁側から見た居間の様子
縁側に向かってすぐの親方一家の居間部分から撮影した様子。居間部分が20帖、茶の間と合わせると約40帖程でしょうか。天井が高く広々とした空間。
鰊御殿は、とど松などの道産原木や、東北地方から取り寄せた檜など、約540トンもの木材が使用されており、当時の豪放さが伺えます。
階段で2階へ
2階は、漁夫の寝室や使用人室、親方夫婦の寝室などがあります。昔ながらの急な階段を登ると……。
窓の外には絶景が広がっていました
2階から眺める景色も美しい!海側は全て窓になっているので、祝津の海を一望できます。
奥の階段スペースはゴールデンカムイに登場しました
階段を背にして手前が客間になっていたスペースで、奥が親方夫婦の寝室です。この部屋には、隠れ部屋があるので探してみてください。
この階段部分は、辺見和雄が第七師団に撃たれるシーンで描かれていました。
2階の見どころ!隠れ部屋
今はガラスになっていますが、当時は押入れの板壁になっており、「どんでん返し」の仕掛けで中の隠れ部屋へ出入りできるようになっていました。
隠れ部屋があった理由については、網元や家族などのごく一部の人しか知らされておらず、秘密とされていました。正確なことはわかっていませんが、以下のようなことが伝えられています。
[隠れ部屋が存在していた理由として伝えられていること]
鰊シーズンの終わりには巨額の販売代金を受け取っていたため、強盗に狙われないようお金を隠していたという説
2.漁夫が暴れたときの避難場所
漁夫が病気などで働けなくなったときに、やむなく漁夫の代理を雇うこともあった。中には酔って暴れる者もいたので、そのようなときに避難していたという説
3.腕の良い若い衆を引き抜きから守るための隠れ場所
網元の間で若い衆の引き抜きが激しかった。引き抜いた若い衆を隠しておくために使われていたという説
4.借金取りから逃れるための隠れ場所
豊漁続きの歴史が伝えられているが、不漁の年は借金をすることもあった。網元が借金取りが来たときに隠れていたという説
5.雪崩が起きた際の避難場所として
当時の田中家番屋は、急な崖の下にあった。太い柱のあるこの場所が安全だとして、雪崩があったときに避難していたという説
鰊御殿の裏手側には絶景が広がっています
小さな祠と鳥居があったので、ご挨拶してから散策させていただきました。
祝津の海を一望できる
心地よい風を感じながら眺める絶景。鰊御殿に来たら必ず見て欲しいです。
日和山灯台も見えます
崖の上には日和山灯台が見えます。赤と白の色彩が海景色に映えますね。
ヨットやボートも見えました
本当にこういうのを断崖絶壁というのでしょうね。見事な崖の先には綺麗な海が広がり、ヨットやボートが見えました。静かでのどかな風景に心が癒されます。
小樽市鰊御殿はいつまでも残ってほしい鰊漁場建築物
当時の歴史を学び、絶景を楽しむ。素敵な休日でした。ゴールデンカムイファンの皆さんもぜひ訪れてみてください。
小樽市鰊御殿の詳細&アクセス
午前9時~午後5時(10月16日以降は午後4時まで)
開館期間
令和2年6月1日~令和2年11月23日(期間中無休)
入館料金
大人/300円
高校生/150円
中学生以下/無料
※小樽市内在住の70歳以上の方は150円
住所
〒047-0047
北海道小樽市祝津3丁目228
電話番号
0134-22-1038